Recent StatusGeneral InfoTodaySunrise/Sunset[collapse/shrink]
Sapporo
06:54 →
16:40
Tokyo
06:44 →
17:03
Osaka
06:59 →
17:22
Hakata
07:17 →
17:44
Taipei
07:39 →
18:35
Beijing
08:26 →
18:29
Singapore
08:16 →
20:20
New Delhi
10:41 →
21:27
Moscow
14:30 →
22:55
Nairobi
12:41 →
00:52
Cairo
13:46 →
00:29
Istanbul
14:19 →
00:18
Athens
14:37 →
00:48
Budapest
15:14 →
00:37
Vienna
15:28 →
00:47
Prague
15:44 →
00:47
Berlin
15:54 →
00:45
Rome
15:26 →
01:20
Paris
16:25 →
01:42
London
16:43 →
01:41
Madrid
16:26 →
02:26
Lisbon
16:47 →
02:56
Rio de Janeiro
17:30 →
06:40
Sao Paulo
17:41 →
06:54
New York
21:09 →
07:08
Mexico City
22:11 →
09:26
San Francisco
00:16 →
10:28
Honolulu
02:08 →
13:17
Wellington
04:37 →
14:32
(in JST, GMT+9)
WeatherWorld NewsBookshelfScienceComputerPhilosophy/Thought |
以前のリビジョンの文書です 遊びと経済さっきふと思ったんだけど,付加価値って一体何なのか。 もちろん「付加価値=財の価格-原材料等の費用」って構図はわかるけど,じゃぁその財の価格って何なのか。 更にもちろん,それは一般に市場で決まるわけだ。じゃぁ市場ではどうやって価格が決まってるのか。 それは基本的に需給で決まるとされてる。 だけど,完全にその値付けの法則が解明されてるわけじゃない。需給で決まるって言っても,売りたいと思ってる人が何でその値段で売ろうとするのかに,決まった法則があるわけじゃない。個人的な都合だとか,色んな要因があるだろう。つまり,はっきりとした根拠が無いから,付加価値にもそのいい加減さが反映されることになる。この場合,原材料等の費用を固定して,価格から付加価値とは何なのかをくっきり浮かび上がらせることは出来なさそうだ。 だったら,今度は原材料等の費用って何なのか。 商品ってのは財とサービスにわけられるけど,まずは財,特に物の原材料について考えてみよう。 物ってのは,突き詰めると全てが植物や鉱物とかの自然資源で出来てる。 なので,例えばある石が原料の機械の場合で,その機械として売り出されるまでに石を掘って売る人(=Aさん)と石を買って機械を作って売る人(=Bさん)の2人が居る状況を考えてみる。 このとき石の値段が固定されてるならば,Bさんの商品の価格は「石の値段+何か」であり,その「何か」=「市場で実際に売れた機械の値段-市場での石の値段」となる。それが付加価値だって話はわかる。もっとも,この場合も市場で実際に売れた値段によって付加価値は左右されるから,値付けに恣意性があると「つまりそれはどうして決まる」とは言えない。ちなみに,普通は原材料費に人件費も入れるけど,この場合は会社じゃなくて個人の話だし,原材料費に人件費まで入れると話がややこしくなるので省くことにする。 次に,Aさんの場合はどうか。掘ってくるためのコストはAさんの労力だけだとすると,買い入れる原材料費は0になる。つまり,Aさんの人件費=石の価格となり,それが同時に付加価値になる。 不動産やサービスの場合も,結局は価格が市場で決められる以上,その付加価値も市場で決められることになる。 何が言いたいのかって言うと,サービスにしても商品にしても,突き詰めると原材料費なんてものは存在してなくて,付加価値しか無いんじゃないかってこと。原材料費が意味を成すのは,自然資源から商品として消費されるまでの流れとかサービス提供の流れとかの一部を切り取って見た時だけの話。 だから,GDPなんかは付加価値の総額として定義されてるんじゃないかと。世界経済の規模も,そうした国別GDPの総額で算出されることから,原材料価格なんてものはグローバルに見ると存在しない。 ってことは,付加価値は市場での価値という恣意的なものだってことになる。繰り返し言うと,もちろん需給とかである程度は説明できるけど,どうしても恣意性は拭えないってことね。だから,突き詰めれば何かを消費したい気分が高まってるのか弱まってるのかが経済の動向を左右してることになる。もちろん個人レベルで見ると,ある値段で何かを消費することには合理性があるかもしれない。例えば,あっちのスーパーよりこっちのスーパーでの値段の方が安いから,こっちのスーパー(の値段)で買う,とか。だけど,果たしてそれが本当に合理的な判断かどうかはわからない。というか,一々調べないで買う事の方が多いだろう。買い手より売り手の方が商品の情報を多く持ってるっていう情報の非対称性って議論もあるし,ある取引を外から眺めた場合にそれが合理的だと思われる事なんて,むしろ稀だろう。 つまり,人々がお金を使って適当に行動してる結果が経済だと考えられる。 この適当にってのは,合理的でないって意味で遊びに通じるものがある。 だから極論すると,人々が遊んでる結果が経済だとも考えられる。…いやもう面倒になってきたから色々すっ飛ばしたんだけど,念頭にはホイジンガの「遊びから文化が生まれた」って議論がありんす。もう積んである本の山から『ホモ・ルーデンス』を引っ張り出すのも億劫なので(苦笑)適当に言うと,そういう遊びが広く許容される社会であって初めて経済成長ってのが有るんじゃないかと。例えば,アメリカや最近の中国が経済発展を遂げてきたのは,因習や行動の規制が解かれた遊べる社会だからなんじゃないかと思うわけです。共産主義国では,行動に制限が加えられたために遊べなくなって,それによって経済が破綻したと見ることもできます。…と言うと,だから規制緩和せよ!って話に聞こえるかもしれませんが,それは全然別の問題であって,むしろ文化的な制約を無くそうって話です。多様な意見を認め合うとか,…まぁ簡単に白い目で見ないとかw。言うまでもなく,と言いつつ言いますが,遊びから文化が生まれたなら,遊びが増えれば文化も発展することになるでしょう。 ちなみに,遊びってのは楽しみの為だけに本気になってやる活動を指すのであって,働かないことを勧めてるわけじゃありませんw。
…書いてから思ったけど,本題は最後の数段落だけなのよねorz |
Other LanguagesPhoto Updates
effects by jQuery Carousel
Recent Commentsyour comments are welcome!
Site StatusAccess CounterTOTAL
179349
(Now 5 clients are visiting here.)
Activity Meter
Activities classified with number of recent articles.
DictionaryLinks |
コメント